アマダ社製のスチール・ステンレス加工設備を多数導入しております。
弊社の主な製造品はスチール・ステンレスドアですが、このスチールステンレスの加工設備を使ってドア以外の建材(外壁や門扉、柵などのエクステリア建材、店舗装飾用の内装素材など)の加工も可能です。ぜひお問い合わせください。
弊社の得意なスチール・ステンレス加工は、シャーリング加工、ベンダー加工、タレットパンチ加工、R曲げ加工です。主にスチールドア・スチール枠、ステンレスドア・ステンレス枠を作っています。他にオーダーメードによる住宅用建材も承っております。
三光総業は、ドアをつくる会社です。昭和48年に事業を開始しました。特注のスチール・ステンレスドア及び枠を中心に製造しております。私たちの強みは、バラ図・展開図の作成からスチールステンレス製品の製作製造、現場への納品まで一貫して行える事です。公共施設、オフィスビル、駅・空港・テナントビルなどで求められる安全性を担保する事はもちろん、建設現場の細かな納品ニーズに対応したドアを製造いたします。
平成23年4月14日撮影
平成23年4月14日撮影
平成25年11月30日に完成したエントランス
平成23年3月11日14時46分、東日本大震災発生。
社員は地震発生10分後に全員退社。その30分後 高さ8mの津波により事務所、工場全ての工作用機械が破壊され、残ったのは屋根と鉄骨だけだった。工場内は土砂と瓦礫で埋め尽くされた。何から手をつけたらいいかわからない状態だったが、廃業は考えなかった。
営業ができない状態で社員の扱いをどうするかが一番大事な問題だった。「東日本大震災被災者の雇用保険失業給付の特例措置」により、会社が再建するまで失業保険から給付を受けられる制度があった。会社は解雇せずその制度を利用する旨を社員に伝え、社員も会社の再建を信じ、33人中26人が残ってくれた。この社員の決断はのちに会社再建に大きな力となってくれた。
会社再建には大きな壁が2つあった。再建の場所と資金面である。被災した場所での再建は不可能と思い、グループ会社の倉庫を利用し仙台市で再建する事を念頭に動き出した。従来の取引先メーカーと社員を交えた工作機械の選定・電気設備の点検・必要工具の洗い出しなど行った。その傍ら社員は、岩沼の被災した工場の片づけに乗り出した。知り合いからミニ重機を借りて来た。他の社員は自宅からスコップ等 持ってきて手作業で瓦礫や土砂の片づけを行った。
一方、仙台市への移転は計画通りには行かなかった。仙台市の倉庫のある場所は、「市街化調整区域」となっており、工場等への使用は認めてもらえなかった。たとえ被災者であっても例外ではない。
仙台市への移転を断念し、被災した場所でもう一度立ち上げる決断をした。7月中旬から社員による被災した工場の片づけが再開した。瓦礫・土砂等の撤去はお盆前までには完了した。9~11月までは、海水に浸った鉄骨・床の洗浄、そしてサビ防止の塗装等社員による修復作業が始まった。それらと並行して銀行との資金調達の交渉を行っていった。
工場の再稼働日を何度か変更せざるを得なかったが、11月に入り、翌24年2月中旬の稼働を目標に、社員による工場の壁の修復作業が始まった。銀行からの融資はまだ決まっていなかったが、2月中旬の再稼働に間に合わせるため、電気工事・設備・備品等の手配を先行して進めた。
12月中旬ごろ融資決定の連絡を受け、再稼働に向かって全ての作業が加速していった。24年1月中旬、電気工事の一部完了。大型工作機械の搬入、溶接機等工場内の備品等も搬入させ、定盤や治具等を整備し、24年2月13日に工場を稼働させることができた。
被災から11ヶ月、この間瓦礫・土砂の撤去、鉄骨の洗浄・塗装、工場の修復等会社に残った社員の“力”がなければ 会社の再建は絶対にあり得なかった。
宮城県岩沼市押分字須加原129番地の10
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